平成タヌキ合戦ポンポコ


世界に誇るスタジオジプリのアニメ映画ですがその監督は二本立てで作っています。はるか昔ルパン三世の時代からのパートナーとしてやってきた宮崎駿監督と高畑勲監督です。

スケールが雄大でパワフルな宮崎作品の陰に隠れて高畑作品はやや地味な印象を受けます。しかしその中で私は平成タヌキ合戦ポンポコがとても印象に残っています。大ヒット作品となったもののけ姫よりも、むしろ見終わった後いろいろ考えさせられました。

人間たちの多摩ニュータウンの開発により自分たちのすみかを奪われることになったタヌキたちの必死の反撃がユーモラスに描かれています。この世に生まれ、育ち、懸命に生きて、春の息吹とともに恋いに生き、どんな逆境の時にも陽気で、宴会騒ぎが大好きで、時にあっさりと死んでしまうそんなタヌキたちの姿が印象的です。自然の中で生きるっていうのはこんなことさ、とか生と死っていうのはこんなものさ、ということをさらっと教えられます。

地球を守れというスローガンがありますが地球を守るなんておこがましいという人もいます。地球にとってわれわれが住んでいる大気層なんていうのはほんの薄皮のようなもので、オゾンホールができようが二酸化炭素が増えて温度が上がろうが地球そのものにとっては何の痛みでもない。むしろ痛手になるのはわれわれ人間の方だという考えです。

まったくその通りかもしれません。たとえ核戦争で放射能だらけに地球がなったとしても<ほんの>数百万年もすればまた別の生態系として自然はよみがえるでしょう。そこには人間はもちろんいませんが。かわいそうなのはとばっちりをくったほかの生き物たちです。

守られているのは我々の方なのです。ガイア仮説という説があります。地球全体がひとつの生き物であるという見方です。このような考え方がなぜ出てきたというと、高校のころ習った生物の用語でホメオスタシスという言葉を思いだして下さい。日本語で言うと「恒常性の維持」という意味で、生物の体の中は常に一定の環境を保つように働いていることをさしていいます。体温やPHや心臓の鼓動、血液の組成その他もろもろが常に一定になるよう保たれています。

自然環境にもそのようなことがあてはまるのではないかと考えたのです。自然の環境は驚くほど一定です。酸素の量、二酸化炭素の量、水の循環、気温なぜか正確に巡ってくる季節、こういったもろもろのものが見事に一定に保たれているのです。放っておいたらあっという間にバランスを崩してもおかしくないような微妙なバランスを何千年も何万年も保ってきました。

われわれはほんのちょっと季節の廻りに変化があっても異常気象だと騒ぎ立てますが、その程度の変動で収まること自体が驚異なのです。 このように一定の環境を守る仕組みがあることを指して地球全体が生き物と言えるのではないかというガイア仮説が立てられました。地球全体がガイアというひとつの生き物であると仮定したのです。ガイアに参画しているものは様々なものです。

人間の体の中にそれぞれ赤血球があり白血球があり様々な内臓があり細胞があり、そうしたそれぞれの部分が全体として人間を構成して働いているように、ガイアの中にもさまざまな構成要素があるのです。それは水や岩であり溶岩であり、ちいさな微生物であり動物であり植物であり、魚であり鳥であり人間であり、雲であり山であったりします。生きている者も無生物もすべてがガイアの構成要素なのです。

自然の反対語が人工であるというのが一般的な考えですが人工は自然に含まれないのでしょうか。人間がつくる巨大なビル群であっても、ありが作るアリ塚であっても、ウサギが作る穴ぼこであっても蜂が造る巣であってもすべては自然の一部です。狭い地域でウサギが増え続け草を食いつくせばそこは荒れ地になり食べるものがなくなったウサギたちは死んでしまいます。そうであっても<兎工>は自然の反対語であるとは誰も言わないでしょう。ウサギたちは自らバランスを崩し自然の摂理で死んでいったのです。

人間が無差別に自然を荒らしていけばそれは単に人間自身の生きる場所を荒らしているだけなのです。ガイアを構成するすべての生き物や土や石や水がバランスをよく保っていればガイアは私達を守ってくれます。都市であってもバランスが保たれたものであれば、それも自然の一部です。しかし細胞がコントロールを外れて暴走すればそれはがん細胞となり人間そのものを殺してしまうように、コントロールを失った人間が地球のバランスを無差別に壊していけばガイアも同じように死んでしまいます。ガイアが死んでしまえばその構成要素も無に帰します。そういう意味ではもしかしたら、人間の体が防衛のために白血球でがん細胞を攻撃するように、ガイアは人間を攻撃するかもしれません。エイズやエボラなどがもしかしてそうだったら、と思うとゾッとします。

ガイアを健康に維持するためにはすべての生き物が必要です。人間は街をつくりすみかを拡大するうちに最初は危険な大型の肉食獣やヘビなどを排除してきました。次には草食獣たちも追い払い、そして今や長い間人間の友人であったはずの犬や猫でさえ排除しようとしています。人間の街では犬や猫でさえ人間の法律に従い、首輪をつけ、飼われなければなければ存在が許されません。

日本の街は特にそのような傾向が強いようです。意外なことにニューヨークの公園にはリスが住み、湾では鮭がとれます。

鳥だけがその能力故に人間の迫害から逃れています。そうしたことを考えているとカラスのようなたくましくユーモラスで賢い鳥が自由に過ごしてる姿を見ると、微笑ましく思ってしまいます。人間以外の生き物がすべていなくなった街に人間の将来はあるのでしょうか。動物をすべて排除した後、人間は同じ人間同士をも排除し始めるのではないでしょうか。

たかが家一件建てるにこんなことまで考えなければいけないのでしょうか。人間が活動していくには資源も採取しエネルギーを使い廃棄物を出すことが必要です。その中でも建物を建設するということは多くの資源を使いエネルギーを使いそして廃材を出します。

安価なベニヤ材の材料として熱帯雨林の木は大量に伐採され熱帯雨林は年間何万ヘクタールも減少しています。その熱帯雨林は多くの酸素を産出し、すべての生き物の生命の源なのです。こうしたことを考え、何をできるか考えていくことがこれからは不可欠になっていくと思います。

たまには近所ののら猫にえさでもやってみませんか?